2023年に読んだ本 BEST5
2023 年に読んで面白かった本 BEST 5
1 位: ヴィータ ――遺棄された者たちの生 / ジョアオ・ビール(訳: 桑島薫, 水野友美子)
https://www.msz.co.jp/book/detail/08786/
ブラジル南部の保護施設「ヴィータ」——そこは行き場をなくした薬物依存症患者・精神病患者・高齢者が死を待つだけの場所だった。現地で調査中だった著者は 1997 年にそこで精神病とみなされていたカタリナという女性に出会う。「言葉を忘れないために」と言って詩のような言葉を書き続ける彼女は何者で、なぜヴィータに収容されたのか。それを探るうちに、新自由主義の影響のもと、国家・経済・医療・家族の網の目のなかで、生産性という基準で人間を選別し、遺棄する現実が明らかになっていく。著者の粘り強い調査のすえカタリナの真の病名に辿りついた時、彼女の綴った言葉の意味は明らかになり、尊厳は回復される。周縁化された人々の生きられた経験を復元し更新し続けるために、現代において人類学の果たすべき使命は何かを問い直す話題作。
著者は文化人類学のフィールドワークでブラジル社会において周縁化された貧困層がエイズにどう対処しているかを調査する中で、「ヴィータ(Vita)」という保護施設の存在を知る。ヴィータは路上生活者や家族から見捨てられた人がまともな医療を受けられずに放置され死を待つ場所で、当時のブラジル都市部では同じような施設がたくさんあった。
その背景としては、ブラジルの民主化と経済発展にともなって貧富の格差が拡大し貧困層に家族の面倒を見る余裕がなくなったこと、国民皆保険が始まり医療制度へアクセスする人が急増した結果(それ自体は良いことなのだが)、医療の人的資源が不足していたり公的医療を受けるまでの時間が非常に長くなってしまったことなどがある。家族で面倒を見ることが難しくなるとヴィータのような施設に送られ、家族との関係はそこで終わる。
家族によってヴィータに遺棄されたカタリナは、彼女が「辞書」と呼ぶ単語の羅列からなる詩をノートに書き続けていた。カタリナの辞書は周囲の人間からは一見して意味不明に見え精神病とみなされていたが、著者が家族や医療記録の調査を進めるにつれ次第に彼女の意識がはっきりしていること、そして彼女を社会的に死んだ状態に追いやってしまった、日常に組み込まれた不可視の暴力が明らかになっていく。
あらすじで語られている真の病名は「マシャド・ジョセフ病」で、ブラジルではアゾレス諸島からの移民の子孫によく見られる病気であり、歩行障害や運動失調を伴うが(カタリナを診察した医師や周囲の人物が言うような)いわゆる精神病のような症状はない。カタリナと同じ病気を抱えた患者はブラジル国内に他にもいたが、女性の患者はどれも奇妙なほど同じ人生を辿っている。まず歩行がふらつき始め、運動失調状態となり、やがて家族と意思疎通が難しくなり見捨てられてヴィータのような保護施設に収容され大量の薬を投与された上で死を迎える…
著者はカタリナの家族や親戚への聞き取りや病院の診療記録を丹念に調査し、彼女の人生を追いかけながら彼女に訪れたような悲劇を生み出すブラジルの政治・経済・社会の構造を明らかにしていく。その過程でカタリナと家族の関係も徐々に改善し、最後はカタリナを見捨てた家族たちが見舞いに訪れるようになり、カタリナが亡くなった後の葬儀に集まる場面で終わる。
およそ 700 ページある分厚い本だが、人の一生を通じてその人間を社会的死に至らしめる国家や経済、家族による不可視の暴力を生み出す構造を分析するという点が特徴的で、今年読んだ本の中で最も面白かった。
2 位: 千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話 / 済東鉄腸
https://sayusha.com/books/-/isbn9784865283501
日本どころか千葉の実家の子供部屋からもほとんど出ない引きこもりの映画オタクの下に差し込んだ一筋の光、それはルーマニア語! Facebook でルーマニア人 3000 人に友達リクエストをしてルーマニアメタバースを作り猛勉強、現地の文芸誌に短編小説を送りまくり、『BLEACH』の詩へのリスペクトと辞書への愛憎を抱きながらルーマニア語詩に挑戦する。 受験コンプレックス、鬱、クローン病。八方塞がりの苦しみから、ルーマニア語が救ってくれた。暑苦しくって切実で、好奇心みなぎるノンフィクションエッセイ。
著者は千葉県に住みながらルーマニア語で小説や詩を書いている日本人である。これはフィクションではなく、この人物は実在している。それだけで面白い本だと思えないだろうか。私はそう思った。
「引きこもりの映画オタク」と自称する著者は決して千葉県から出たくないわけではなく、体質や病気から遠出することができない。そんな著者は実家の自室で鬱屈した日々を送っていたが、それを救ってくれたのが映画だった。著者によると映画は座って垂れ流してるだけで終わるので精神的に辛い時でも映画だけは見ることができたらしい。誰もが知る大作ではなく、日本で未公開の映画作品を中心にブログや雑誌等で紹介している。
ある日ルーマニア語自体の解釈が鍵を握る映画を観たことをきっかけにルーマニア語の勉強をするようになるのだが、その方法が面白い。Netflix オリジナル作品にルーマニア語字幕をつけて観るところから始まり、生きたルーマニア語を学ぶため手当たり次第にルーマニア人に Facebook のフレンド申請を送り、ルーマニア語で話しかけていく。
普通に考えたら怪しすぎてブロックしそうなものだが、プロフィールが面白い(逆に考えてみる。ルーマニアから一度も出たことがないルーマニア人が急に日本語で話しかけてきたら面白くないですか?)ので受け入れてくれる人もおり、一度入り込むと共通の友人として警戒心が薄れるのでだんだん友人の輪が広がっていく。
知り合った中にはルーマニアで小説や詩を書いている人もおり(ルーマニア語の芸術分野は市場が非常に小さいため、専業の作家はほぼ存在せず皆本業を持っている)。ついにはルーマニア文学の歴史を編纂している人の目にも止まり、ルーマニア文学史の 1 ページに加わってしまう。
好奇心と情熱は人間の可能性をどこまでも広げるんだと感じた作品だった。
3 位: イラク水滸伝 / 高野秀行
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917290
権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む謎の巨大湿地帯〈アフワール〉 ―――そこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。中国四大奇書『水滸伝』は、悪政がはびこる宋代に町を追われた豪傑たちが湿地帯に集結し政府軍と戦う物語だが、世界史上には、このようなレジスタンス的な、あるいはアナーキー的な湿地帯がいくつも存在する。ベトナム戦争時のメコンデルタ、イタリアのベニス、ルーマニアのドナウデルタ……イラクの湿地帯はその中でも最古にして、“現代最後のカオス”だ。(中略)想像をはるかに超えた“混沌と迷走”の旅が、今ここに始まる――中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録が凝縮された圧巻のノンフィクション大作、ついに誕生!
イラク南東に広がる湿地帯の歴史とそこに暮らす人々を中国の古典「水滸伝」になぞらえながら紹介するノンフィクション。
著者の高野秀行氏は「ミャンマーの柳生一族」「謎の独立国家ソマリランド」など世界のさまざまな場所を旅したノンフィクションを出しておりよく読んでいたが、新作ということで楽しみにしていた。
チグリス川とユーフラテス側が交わるイラク南東部には広大な湿地帯が広がっており、5,000 年近く前のギルガメシュ王の時代から体制に反逆する人が住んでいたらしい。湿地帯には馬も戦車も入れず、高い草が生い茂っており大きな船が入れないので逃げ込むのにちょうど良かったのだろう。現代の湿地帯で生きる人々の中にも、湿地帯を拠点に反政府ゲリラとしてフセイン政権と戦った者がいる。まさに水滸伝だ。
本書ではメソポタミア文明の時代からほぼ変わらない暮らしをしている湿地民やそれを取り巻く環境の変化を調査したり、今ではほぼ使われていない伝統的な舟を作って湿地帯を旅しようとしたり、マンダ教という宗教の行事を体験したり、その中で起きるさまざまなトラブルも面白おかしく乗り越えていく。
個人的に好きな箇所を紹介したい。これは本書終盤でジャーシムという湿地民の頭領に当たる人物が仕事や療養で留守にしているときに訪ねてきた友人たちと著者が会った場面だ(「宋江」は水滸伝の主人公で、著者がイラク湿地民を水滸伝の登場人物に喩えているため頭領のジャーシムを宋江と呼んでいる)。
ジャーシム宋江の友人と言えば、バグダードやナーシリーヤから遊びに来たイラク人作家の三人組もいた。彼らはそれぞれ詩人、ジャーナリスト、小説家を名乗り、ラマダン中にもかかわらず普通に水を飲み、タバコを吹かした。案の定、彼らもコミュニストだった。日本にも興味をもっており、三島由紀夫やサムライが好きだと言っていた。どうやら、この人たちの中では、三島や武士は「大義のために自分の命をかけた人」というくくりで、共産主義者の仲間になっているようだった。三島もびっくりであろう。残念なことに、私は誤解を解くほどのアラビア語力もなければ、そんな気力もなかったので、深くうなずくに留めた。
日本では有名な話だが、三島は日本国内で共産主義者に対抗するための民兵組織を作り軍事訓練をしていたことがある。三島の政治的主張(戦後民主主義の否定)は日本国外から見ると過激派左翼と言うこともできるが、武装して共産主義者と戦おうとしていた人間を仲間とは言えないだろう。著者がいう「誤解」とはこのことを指していると思われるが、当時の日本の状況や三島の政治的主張をアラビア語で説明するのは容易ではない。
4 位: みんなが手話で話した島 / ノーラ・エレン・グロース(訳: 佐野正信)
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015250/
アメリカ・ボストンの南に位置するマーサズ・ヴィンヤード島。20 世紀初頭まで、遺伝性の聴覚障害のある人が多く見られたこの島では、聞こえる聞こえないにかかわりなく、誰もがごく普通に手話を使って話していた。耳の聞こえない人も聞こえる人と同じように育ち、社交し、結婚し、生計を立て、政治に参加した。「障害」「言語」そして「共生社会」とは何かについて深く考えさせる、文化人類学者によるフィールドワークの金字塔。
遺伝性の聴覚障害を持つ住民が多かったマーサズ・ヴィンヤード島西部の集落チルマークを中心に、人々がどのようにコミュニケーションを取っていたかを資料や住民へのインタビューから探る本。
印象的な場面としては、著者が記録上聴覚障害を持っていたと分かる人間について、その人を直接知る老人にインタビューをする場面がある。以下に会話を引用する。
著者「アイゼイアとデイヴィッドについて、何か共通することを覚えていますか」
老人「もちろん、覚えていますとも。二人とも腕っこきの漁師でした。本当に腕のいい漁師でした」
著者「ひょっとして、お二人とも聾だったのではありませんか」
老人「そうそう、言われてみればその通りでした。二人とも聾だったのです。何ということでしょう。すっかり忘れてしまうなんて」
この会話から分かるように、聴覚障害者は身体的にはある種の “disabled” を持っているが、ヴィンヤード島ではそれによって社会的な不利益がある状態 “handicapped” はなく、知り合いは優秀な漁師だったという記憶しかなかった。現代のアメリカは 19 世紀のヴィンヤード島の漁村と比べればはるかに進歩した社会とみなすこともできるが、重度の聴覚障害が社会的な不利益をもたらす可能性は当時のヴィンヤード島より高いだろう。
全員が手話を使えた理由としては、家族や親戚、親しい友人の中で一人でも聾がいた場合、その人と会話するために幼い頃から手話を使っていたからであるようだ。手話は普段から英語で話す聴者同士の会話で使用されることもあったそうで、例えば観光客など知らない人がいて大声で会話したくない場合、風が強かったり相手が遠く離れており声が届かない場合は聴者同士でも手話で会話していたらしい。
身体的な障害が社会においてどのような不利益をもたらすかは、それが現れる共同体によって決まる。「色のない島へ ── 脳神経科医のミクロネシア探訪記」という本では先天的な視覚障害で色彩感覚を持たない人が多く暮らす島について取り上げているが、ここでも視覚障害が社会的に不利益であるとはされず、むしろ色彩感覚を持たない人が専門とする仕事があった。色彩感覚がない人の多くは明度の微妙な変化を見極める感覚が発達していて、夜の海での漁や微細な模様を持つ織物の制作に従事していたそうだ。
その人の資質がどのような社会的不利益をもたらすかは社会が決めることで当人が望んだことではないのだが、「ハンディキャップ」という言葉には「社会的な不利益は当然あるよね」という前提が含まれているように感じるのであまり好きではない。しかし、好きではないと言うだけでそういう言葉がなくなるとも思わないので、自分は自分にできることをしていきたい。
私はプログラマーの仕事をしていて Web アプリケーションのフロントエンドを書くことがあるのだが、利用者にとってサービスを円滑に利用できるようにするための仕様を作るための「Web アクセシビリティ」という分野がある。デジタル庁が公開しているウェブアクセシビリティ導入ガイドブックという資料を参照。
この本を読んで、あらゆる人にアクセスしやすいアプリケーションや Web サイトを作っていこうと思った。例えば、電話でしか問い合わせできないサービスや電話でしか解約できないサービスは絶対に作らない。
5 位: GE 帝国盛衰史 - 「最強企業」だった組織はどこで間違えたのか / トーマス・グリタ, テッド・マン(訳: 御立英史)
https://www.diamond.co.jp/book/9784478115244.html
エジソンが興した世界最大の総合電機メーカーとして 1 世紀以上の栄華を誇ったゼネラル・エレクトリック。ピーク時から企業価値は数分の一に激減。カリスマ経営者たちはどこで間違ったのか? ウォール・ストリート・ジャーナルの GE 担当ジャーナリストが謎に迫った。
GE はジャック・ウェルチとジェフリー・イメルトという二人の有名経営者によって拡大を続けてきたが、2008 年に起きた金融危機をきっかけとして凋落が始まりやがては解体に向かっていく。これを聞いて「なぜ?」と思った人も多いだろう。GE は発電所向けのタービンやジェットエンジン、産業用ソフトウェアや鉱山機械などを製造している総合電機メーカーで、金融危機が起きても需要が急減することはなさそうに思える。
本書を読むとその背景が見えてくる。GE はジャック・ウェルチの時代から高い信用力を利用して低金利で調達した資金で投資や買収を繰り返し、バランスシートが肥大化していた。社内の業績目標達成圧力の高さもあり、会計的な操作による利益の付け替えや先食いが行われていたり、上層部に悪いニュースが伝わりにくい状態になっていた。
GE は会計的には工業というより金融の会社で、低利で調達した資金を投資することで利益の多くを金融業で稼いでいたが、2008 年の金融危機に伴って大きな損失を被ったことで当局の介入を受け、金融事業を売却して工業分野への積極的な投資を行うことになった。
しかし、企業買収が欧州の規制当局から妨害を受けたりアクティビストに絡まれたりなかなかうまくいかない。互いに関連性のない多くの事業を束ね管理する経営人材も不足しており、会社の立て直しは難航し CEO は解任され、GE は解体されていく。
ビル・ゲイツによる本書の書評が非常に面白いので、興味ある方は是非。